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佐久間象山・大村益次郎 遭難之碑

佐久間象山・大村益次郎 遭難之碑

高瀬川にかかる三条小橋の北側角にふたりの歴史上の人物が幕末から明治初頭に、この地で襲われ命を落としたことを伝える碑があります。

佐久間象山(さくましょうざん、1811―1864)

佐久間象山は江戸時代後期~幕末の朱子学者、兵学者、思想家。松代藩士。 1833年江戸に出て朱子学を学び、儒学の私塾を開くまでになりますが、1844年松代藩主・真田幸貫が海防掛老中に任じられたことから、藩命で西洋兵学を学びます。 その後、様々な分野の西洋の知識を吸収、実践していきました。 象山の門下生には吉田松陰、勝海舟、河井継之助、坂本竜馬らがいますが、1844年、弟子である吉田松陰の海外密航の罪に連座し、以後9年間を松代で蟄居。 その間も西洋研究に没頭した象山は、攘夷論から開国論に転じました。 1862年蟄居が解かれますが、1864年幕府の命令で滞在中の京都でその言動が尊皇攘夷派の怒りを買い、三条木屋町で暗殺されました。享年54歳。

大村 益次郎(おおむら ますじろう、1824年 - 1869年)

大村 益次郎(別名 村田蔵六)は幕末期~明治初頭の医師、西洋学者、兵学者です。 1846年大坂に出て緒方洪庵の適塾で学び、塾頭を務めた後、1850年故郷に戻り、家業である村の医師となります。 しかし、西洋学者としての才を買われ、宇和島藩、幕府、故郷である長州藩に相次いで招かれます。 長州藩では、西洋式軍備を整え、第二次長州征伐で攻め込んできた幕府軍を撃退します。 明治になって後は、新政府における指導者の一人として日本に近代兵制を導入すべく準備を進めていましたが、その途上1869年(明治2年)、滞在中の京都三条木屋町にて不平士族の襲撃を受け重傷を負い、同年その時の傷が元で亡くなります。 享年46歳。大村益次郎の生涯は司馬遼太郎さんの小説「花神」に描かれ、小説を原作とする同名の大河ドラマも放映されました。

池田屋騒動之址

池田屋騒動之址

1864年7月8日(元治元年6月5日)深夜、尊皇攘夷派の志士たちの集まる京都三条木屋町の旅館・池田屋を、近藤勇率いる新撰組が襲撃、激しい戦闘となりました。 尊皇攘夷派は桂小五郎こそ難を逃れたものの、この戦いで多くの犠牲者を出し一大打撃を受けました。 反対に新撰組は尊王攘夷派による御所焼き討ちの計画を未然に防いだということで、一躍その名を天下に轟かせました。 1960年頃まで当時の建物が残っていたと言われていますが、現在は「維新史蹟 池田屋騒動之址」と記された碑が当時の出来事を伝えています。

弥次喜多像

弥次喜多像

徳川家康によって定められた東海道五十三次の東の起点は江戸の日本橋ですが、西の起点は京の三条大橋になります。 その三条大橋の西詰めには江戸時代に出版された滑稽本『東海道中膝栗毛』の主人公である弥次郎兵衛と喜多八の像があります。

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